2008/06/29

頼むから静かにしてくれ



雨が降る中、髪を切りに。
今日こそ副都心線に乗ってやろうと、わざわざ地下鉄を遠回りしてきた明治神宮前なんだけれども、うっかり途中下車してしまう。
色とりどりの傘にもまれて足を取られながら、息を押し殺すようにして竹下通りを堪え忍び、するりとブラームスの小径へ逃げ込む。
わたしは雨のこの小径が好きなのだ。
基本的に雨ふりが好きなのかもしれないけれど。

しめやかに執り行われてる誰かの幸せを左手に、露に濡れいっそうその美しさを増している紫陽花の花を右手に、細いレンガの道を歩けば、壱の蔵。
お目当ては古布のはぎれ。
夢のような夏の切れ端たちを手に取ると、そのまま戻れなくなる。

ああ、ああ、この感じ。
なにものにも侵しがたいこの世界。
わたし何でこんなにも日本の夏の衣にこころ惹かれるんだろう?
布という一枚の平面の中で自由に気持ちよくその葉を広げ、重なり合う色あざやかな芭蕉の葉、
切なげな中にも静かな強さをたたえているききょう、
まるではずかしそうにうつむいた少女のばら色の頬のような撫子、
たゆたう水が描くゆるやかな流れの線、
どこまでもいたずらっぽく風に凪いでいる萩の葉の丸み、
それらはわたしを揺さぶり、語りかけ、しっとりとした、でも確信犯的なほほえみを浮かべ、虜にする。

そんなこんなをクリスティにて夢想する。
きちんとした喫茶店のまじめなサンドウィッチとニルギリティーがとてもおいしい。
ツナに刻まれたピクルスと、たまごの下地に塗られたバターが決め手!
また、何気ない小さなサラダに入ってるセロリも秀逸だ。
まじめさとはこういうことなんだよな。
千疋屋もかなうまい。

しかしオールディーズがこんなにしっくりくる日曜日なんてあるだろうか?
ああ、となりのおばちゃんたちよ、頼むから静かにしてくれ!

今週も遠ざかる副都心線。
まあ、よしとしよう。今週末はとてもすばらしかったから。

おとなしく帰路につく。
危うく急行で我が駅をすっ飛ばしそうになってしまった。
あぶないあぶない。

みんなのうた

2008/06/28

夏の草履

こんばんは。
JRの吉永小百合的と称され、若干しょげているちえじい@黄楊道です。

えーと、
市外局番03区域の住民になっても(固定電話引いてませんが)、こころは武州に取り残されています。

夏の草履を拵えました。
もちろん、八王子を誇る、なんと、天保5年創業!の履物やさんの、福島履物店さんでお願いしました。



またもや、古い畳表の下駄の畳をひっぺがし、畳を重ねてもらって草履にし、持ち込みの古布で作っていただいた鼻緒を挿げてもらいました。

またしても夏の草履です。贅沢至極・・・
鼻緒はちょっと派手なくらいがいい。
色彩鮮やかな夏のアンティークの着物にもきっとよく映ることでしょう。

わたしは、見ての通り、雰囲気重視人間なので、「二枚歯の下駄をちょいと引っ掛けて」の世界が圧倒的に好きなんですが、いざ履いてみると、どうしても草履に軍配があがります。
というのも、下駄ってどうしても消耗が激しくて、長持ちしないのですね。
愛していれば愛しているほどこれはつらいことで、特に、わたしが愛して止まない古い古い畳下駄なんぞ、歯はもちろんですが、歩く時にどうしてもすってしまうのでしょう、先っぽが下ろしたその日からけずれてしまい、畳の先も容赦しない。
さらに、草履の方が圧倒的に履きやすい。
遠出するときなんぞ、どうしても草履に足が向いてしまいます。

下駄も好きなんだがなぁ!
下駄を履くなら、潔く、消耗など気にせず大胆に履こう。
それを考えると、畳がのっているような、豪華な下駄ではなく、あっさりとした塗りのない桐下駄がいちばんのように思えます。
塗りのない下駄には、これまたあっさりした鼻緒がいい。
それか、塗りなら春慶で。
あれはとにかくとても好きだ・・・!

福島さんでは、会津の桐下駄もいっぱい揃っています。
いただきものの草履や、昔百貨店で買ったような草履など、挿げ直してもらっただけで、俄然履きよくなります。
鼻緒が挿げ方でこんなにも変わるのかと思ったものでした。

八王子は、暮らし家さんもあるので、ぜひ、来まっし八王子。
暮らし家さんで、はぎれを買って、福島さんで鼻緒にしてもらって、というのが今いちばんホットです。

ご興味ある方いらっしゃったら、詳しく説明しますので、(何をだ?)ご一報くださいまし。

Message

朝の雑談 =レベル感について=

『ノルウェイの森』は、大学入ってすぐくらいの頃から30目前の今に至るまで、何度となく読んでいるが、それは、わたしが相も変わらずおんなじところをぐるぐるぐるぐる迷走しているわけではまったくなく、『ノルウェイの森』には、「段階的ヒント」、少なくともひとりの人間であるわたしが、20代を生きる数年の間、その時々に応じて、さまざまなヒントを与えてくれる、まるで、子供の成長に合わせて椅子の高さを調整できる学習椅子のような存在なのだ。
この本について、「暗い」とか「重い」とかいうコトバを聞くにつれ、ああなんと表層的な部分で字面を追っているだけの軽薄なことよ!と、おせっかいながらに感じてしまうのである。

なーんて、また、いつもの癖で、いろんなことが言いたくなってきてしまいました。

結局、文学部癖みたいなのがいつまでたってもぬけないのよね、でも、大学生みたいに、喫茶店で顔つっつきあわせながら、何かについて、深いところまで入っていって話し合う、こういうの、今でもたまにはしたいよ。
そこに居合わせた人々が、違う意見を持っていて大いに結構。
でも、ここでいう、「深いところ」のレベル感は共有してたい。
「今、どこのレベルで話しているか」というのが通じていないと、その場にいるのでさえ、ばかばかしくなってしまう。
これを共有できる人はとても少ないけれど、出会ってしまうと、すごくすごくすごくうれしくなるし、一生つきあいたいとすんなり思うし、きっとそうなる。
幸せなことに、そういう友人が何人かいます。

なんていうか、そのレベル感がズレる相手と、無駄な話をぐだぐだするくらいなら、自分のそういうい部分にとりあえずの蓋をして、縦方向に掘り進めることなど最初からしないつもりで、ただただ楽しい話を楽しくしてるだけの方がよっっぽど気持ちがいい。
こういうあっさりしたつきあいも大切なのだ。
でも、常に一緒にいるべきごくごく近しい相手には、それだけだとちょっと、と思ってしまう。

そうなのよ、常に一緒にいるべきごくごく近しい相手には求めるべきは、価値観なのか?感性なのか?とか、さんざん考えていたけど、「レベル感を共有できること」、これがわたしにとっては何よりも大切なんですね。

今、ベランダから見える、斜め左の家の庭に立っている枇杷の大木には、オレンジ色のまるい枇杷が重そうなくらい実をつけていて、そういやここに引っ越してきたばっかりのときも、こんな時期だったっけな、と思い出す。
朝、尾長鳥がうるさいの。
それで寝不足になってしまうくらい。
鳥よ、頼むから、もう少し遅めの朝食をとってくれないか、本気でそう思います。

そうそう、コレコレ。
今、どこの段階での話をしているのか、
ここを共有できる人。
こういう人がわたしはすきだ!

ダース

2008/06/21

真夜中の歩行 =断片的思考=

いやがらせのような一週間が終わり、骨がカスカスになっているような、疲労マックスの土曜日の夜、今井美樹の「piece of my wish」を聞きながら、これまたマックスに散らかった部屋で、PCに向かっております。
何はともあれ、今日は、夏至ですよ。

金曜日の夜、浮かない気持ちのまま、成り行きでオフィスのメンバーと飲みにいくことになり、隅っこで辛気くさーい気持ちで、ひとりやけになってビールを飲んでいたわけなんですが、ふと気づいてみると、マネージャーと、ひとりのメンバーが、言い合いになってきています。
まずいねこれはと思いつつ、黙々と目の前にあるものを片付けるワタシ。
ビールを飲み、唐揚げをたいらげると、最後の一枚のピザ、さらにチーズケーキを食べ、コーヒーを飲んだ後、前の人の酒にまで手を出し、ようやくごちそうさまです。

言い合いはけんかに発展し、どっちらけになったまま、解散。

そしたら、中央線が見事に遅れ、めんどくさいまま状況に任せていたら、新宿発の終電を逃す始末。

大人らしくタクシーで帰ればいいやと思っていたら、タクシーはなんじゃこりゃという長蛇の列。
並ぶ気にもさらさらなれず、甲州街道に出てからつかまえればいいやと、ふらつく足のまま、甲州街道に出てみたら、だんだん嫌気が差してきて、家まで歩くことを決意。
一度歩いてみたかったんだよね。

アイス食べたり歌を歌いながら約2時間半くらいかけて、ようやく家にたどり着きました。

はー、疲れたぜ。

雨が降っていても、朝がくると明るくなるのですね。

今日は、フェイフェイさんとくれまちさんと、吉祥寺でランチをご一緒させていただきました。
とても楽しかったです。ありがとうございました。

みなさんと別れてから、そのまま寺へ行き、お茶のお稽古。

はだける襦袢(なんかエロいな)を気にしながら、平点前をしたら、足が無感覚になるくらい痺れてしまい、いやー、参ったね。
最後までいたら、先生が、「焼き葛」というお菓子をごちそうしてくれました。しかもおいしい。
帰りは、仲間たちと一緒に恵比寿まで歩く。
いいですね、こういう、名前も知らない、お稽古事の仲間というのは。
「では失礼します」
その一言ですべて済むなんて、サイコーではありませんか。

一日一日、過ぎていくのがあっという間で早い。
こんな調子で、どんどん時が過ぎ、今期が終わってしまったらどうしよう。
そんなことを考えていたら思わず泣きそうになってしまいました。

今日の夜ご飯は、こんにゃくと、しらす干しと、パン。
変な組み合わせである。

何か大学に行きたい気分。
あの地に行くと、なぜか元気になる。
ちっとも楽しくなかった4年間なのに、なぜか自分の大学が好きだ。
しかし、どーも、3つ上の商学部とは縁がないんだなぁ。わたしは。トホホ

誰と一緒にいようと、自分が「自由である」と感じることができればよい。
まさにその通り。
どんなにたくさんの人にまみれていようと、そこで自由を感じられるならそれでよいわけで、逆に、「自由でない」と感じる相手だと、一緒にいると息苦しくなる。

先日のアフリカ会合で、「孤独主義」について話があがったけど、これはいいね。
ペニーレーンを歩きながら、ビートルズのペニーレーンを口ずさみ、街路樹の緑に、人々の暮らしに、胸がぎゅっと熱くなるくらい感動したことなど。
あれは19歳の初秋。
この地面を踏みしめているのが、自分の両足に他ならぬ、ここにいるのは自分が自分であることに他ならぬ、と、今、ここで、ひとりでいることのすばらしさを実感しながら、歩む足取りの確かさと言ったら、そりゃあ、もう。てな具合ですよ。
そんなときの話を分かち合える友がいるのはすばらしい。
あれから10年経ったのね。
まるで旅先の夜のような、アフリカンナイト。
そしてこれは先週の話。

どうやら、夢の島の匂いがするよ。なんてね。

2008/06/08

なんて美しい日本の夏





えーと。
もう夏ってことでいいでしょうか。

北鎌倉駅すぐのところにある「こまき」にて「青梅」。
なんて精巧なつくりなのでしょう。
とは言え、食べるときはあっという間なのですがね。
お茶をやっていると、主菓子をパクパクっと一瞬で食べる癖が付いてしまうというか、何か、来たるべき茶に備えて、さっさと食べろみたいな感じになってしまうんですが、どうなんでしょうね。



あじさいはまだまだこれから。







水琴窟。
この音を聴きながら、岩盤浴がしたいと心底思う!



こ、これは・・・!
いやはや、どうも私は竪絽に弱い。
そしてこの色。

たまらない夏の半襟。
あとは野となれ山となれ。すべてはカード任せ。
月々の支払いなんてなんのその。
ありったけの言い訳並べても、この美しさにはかないませんわ。

嗚呼なんてなんて美しい日本の夏。