2007/11/27

お召が着たい

アンティークのキモノに興味を持ち始め、いろいろ見ていくうちに、圧倒的に縮緬を好きになり、銘仙などの紬類、お召はあまり着なかったのですが、ここのところ、ものすごく心惹かれるのがお召。
絹ものなのにじゃりっとした感触があり、しっかりとした厚みがある、大変頼れるお召なのですが、やわらかものに取り憑かれていた私の気持ちは、その頼り甲斐ある質感よりも、脆く儚げな方へと向かうばかりで、あまり着ないままになっていました。

アンティークのキモノ相場では、お召は比較的手頃な部類のようですが、幸田文『きもの』や谷崎潤一郎『痴人の愛』を読んでいると、どうもお召は錦紗と同様とても高価な生地のようです。
織りのキモノ故限定された柄ゆきのせいか、それともあのピンと突っ張ったような質感のせいか、かわいそうなような気もします。

今年の9月、薄い紫色の単衣のお召を着てみて、錦紗とも違うけど、銘仙よりも着心地が抜群によく感じられ、妙なほどにしっくりきて、すっかり魅せられてしまいました。
こう、張りのある布なのに、肩から腕にかけてだらりとした確かな重みがあり、決して体の線を離れない感じ、その感じが新鮮だったのかもしれません。

錦紗もお召もどちらも美しく色っぽいのですが、錦紗の艶が優雅でとろりと柔らかなのに比べ、お召のそれは逞しく健康的、そんな感じがします。

錦紗のその手触りはたまらないほど好きですが、薄手な分、消耗している布は消耗しきっているのが常で、美しい色柄のものに出会っても薄くなってしまっているものが多く、布に余力が残っている錦紗にはなかなか出会うことがありません。

お召にもいろいろあるようで、「お召縮緬」と呼ばれるような、はっきりとしたしぼとお召特有の色っぽい艶がしっかりあるものがいい!
ピンとした張りの中にもどこか感じさせられる絹のしなやかな感触、そんなお召。
裏にも紅絹をちゃんと使っているような、当時高かったであろうお召がいいなぁと、また贅沢なことを考えています。

先日、たけしが出ている「点と線」をちらっと見たのですが、時代は昭和30年代前半、着物姿の女性がふんだんに出ていて、道を行き交う女性のお召姿がとても印象的でした。

お召が着たいなぁと最近つくづく思います。