2008/02/18

ふくふくと着る

会社に、ものすごく平べったいからだをした人がいます。
人間て、おんなじかたちをしているようで、案外、意外なほどみんな違うかたちをしているんだと気づいたのはキモノを着るようになってからだろうか?いや、そうでもないか。まぁいいや。

とにかく、その人に関して言えば、横から見るとまるで凹凸のあるところ以外は紙のように平べったい。
なんて細いのだろう…!と感動すらするほどなんだけど、いざ正面から見ると、その紙のような薄い華奢なからだから想像していたよりは十分に幅がある。
そしてそのその人ならではの妙とも絶妙ともいえるようなそのバランスが、何だかその人をすごく表しているようで、その人!!って感じでなんていうかかわいいなと思ってしまう。
きっと自分がこの人の恋人だったら、すっごくこのからだのかたちを愛しく思うんだろうなって想像するんです。
愛ってそういう感じなんだよなぁとつくづく思うのだ。

まあ愛はさておいて、自分のからだのかたちなんですが、わたしの場合、まさにその人とは逆で、どうやらからだがどちらかというと円柱に近いらしいです。

すんません、言い訳するわけじゃないんですが、キモノがすんなりくる体型って言うのは、決して寸胴とか!そういうんじゃなくて、まぁそれもあるかも知れませんが、そして、あくまでキモノの場合ですが、からだのかたちが円柱形の方がつるんと極まる・・・ような気がするんですがどう思います?

最近思うんです。
乱れのない完璧な着付けの清々しい清潔感、
きものよりも着手の方が存在感のあるような着付けの自然な躍動感、
この中間ってどうにかならんもんかな、と。

それとまた別の話。

カウンセラーの養成講座に通っていた時、「自分の見た目が、相手にどんな印象を与えるのかを、客観的に意識すること」的なことを言われました。そして、その自分の外見、雰囲気の「持ち味」を十分理解した上で、そういう自分が、相手に安心感を与えるにはどうしたらいいのか、自分オリジナルなものを見つけてそして身につけろ、まあだいたいそんな話だったと思うのですが、
着付けもきっとそうで、自分のからだのかたちを把握した上で、そのからだを使って、どうやって着るか。
そんな線をたどっていけば、自分にとっての自然がどんなもんか、見えてくるのかもしれぬ。

というワケで、ぐるぐると補正を巻きつけきって、自分のからだのかたちを消しきってしまうのもちょいと勿体なく、かといって、だらだらとオウトツに任せて食い込むものは食い込むままに、でっぱるものはでっぱるままに、されるがままなすがままのレットイットビーに着るのも、わたしがやると、なんか不潔な感じ。
ほっそりした首のながーい人がやったら退廃的なムードむんむんできっとくらっとくるほどすてきなことでしょう。

そんなワケで、だんだんどうでもよくなってきたのでとりあえず打ち切ります。


趣旨としては、

自己理解ということでしょうかw